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Macを使ってHard Disk Recording(以下、HDR)の環境を整えることも、以前に比べれば、相当に簡単で安価になってきてはいる(但し、まだまだお気楽にできるレベルには達していない、技術的にもコストの面でも)。勿論、別にHDRでばりばりやらなくたって、良い音楽は作れる。思い出そう、ビートルズを、彼らがどれだけの機材で、あの作品群を生み出したのかを。芸術は道具の問題ではない。あたりまえだ。けれども、やはり、どうせなら良いものを使いたいたいと思うのも、また人情。萬年筆ならMontblanc、コンピュータならMacを選ぶように、音楽を作るのにも、より良い道具を使うのに越したことはない。 演奏の技術に関しても同様のことが言える。ギターがもっとうまく弾けたらなあ、などと思っていたのはいつのことか(思うだけで実際には練習しなかったところが、私の演奏者としての限界だが . . . )。技術的に優れた演奏家、結構なことだ。練習してくれたまえ。私の友人には死ぬほど練習している人間がたくさんいた。みんな、それなりに巧みな技術者にはなっていった。だが、全員が音楽的に優秀だったのか、と言えば、そうは思えない。技術の訓練だけでは職人は作れても芸術家は生まれないのだ。 このことを端的に言ったのが、Robert Fripp。一見、技術おたくのように思われている(実際、そう分類してもかまわないだろう)彼が、インタビューで答えていた。訓練を積み重ねて技術を習得することは重要だが、より重要なのは、それをある日捨て去ることだ、と。 私に伝わってきたことが彼の真意かどうかはわからない(何しろ、翻訳されたインタビュー記事を読んだだけなのだ。どこにでも誤解が生じる余地はある)けれども、それを見て、私は自分が練習しないことを肯定できるようになった。口では何だかんだ言っても、それまでは技術に対する拘わりが幾許かはあったのだ。必要なのは、自分が表現するのに必要な技術だけ。そして、私は自分が表現するのに必要な技術は既に持ち合わせている、と感じた(当時は、ね)。 HDRになると自体は非常にややこしくなってくる。というのも、技術の限界が直接的には存在しないからだ。例えば、ギターやドラムスといった楽器がこれ以上進化していく可能性は少ない(既に完成している、と言うべきか)。が、HDRのシステムはまだまだ発展途上にあり、新しい可能性がたくさん残されている。加えて、HDRという技術が手法そのものともなりうるようになってきた。単なる録音環境ではなく、それ自体が楽器のような存在にもなりうるのだ、と言ってもいい。そこに自分を見失ってしまう危険性もある。 むかしむかし、瞬間の芸術だった音楽だが、今では単純に瞬間の芸術だと言い切るのは難しい。今、私がここで弾き出したサウンドは無限にcopy&pasteされ、変様されうるものになってしまった、善し悪しはともかくも。確実なのは、かつては専門の設備と技術が必要だったものが、まさにデスクトップで可能になった、ということだけだ。HDRは技術的な革新というよりも、以前は手の届かなかった環境が庶民の手に渡されたのだ、という側面の方が重要なのである。そして、それを使って何を生み出すのか、が。 (人間の、あるいは、システムとしての)技術は高いに超したことはない。けれども、それだけでは何ものでもない。原子爆弾が生まれてしまったのと同じことで、何にどう使うのか、こそが問題なのだ。多分に、自分に言い聞かせている言葉ではあるが . . . 。 では、良い音楽を作っていくのに、何が必要なのか、というと、結局は情熱なんだろうな、というありきたりの言葉しか、思いつかない。純粋な創作意欲に駆り立てられるのであれ、邪な欲望に支えられるのであれ、情熱こそが芸術を生み出す源なのだろう。 |