人はなぜ死ぬのか。
わからない。
明確な根拠は、私の知る限りでは、ない。

またもや、またもや、こんな書き出しだ。

なぜなのかというと、言いたいことがうまく言い尽くせないからだ。ふむ、私の言葉の能力も大したことがない。

また手相の話。以前、アメリカ人おやじに見てもらったときに「おまえは一生、神と死について考える運命だ」というようなことを言われた。本当にそういう運命なのか、あるいは、その言葉の暗示にかかってしまったのか、あるいは、今、たまたまそういう気分なのか、よくわからない。けれども、確かに、私の中に、まだ言い尽くせない何かがあるのである、死に関して。

私は、4歳のときに「101匹わんちゃん大行進」を観て泣いて以来、泣いたことがない。と言い張っているが、実は、他にも泣いたことはある。それなりに歳をとってからも、実は、二度泣いた。一度は、親父が死ぬ前の年の暮れ、大酒をくらっていた時のこと。「今、この瞬間も親父は病院で、暗闇の中で喋ることもできずにいるんだなあ」と思ったら、突然、涙がこぼれた。もう一度は、友だち(というよりは、仲間、あるいは、後輩みたいな存在のやつだ)の通夜のとき。当然、飲んでいた。けっこう飲んでいた。頭の天辺が痺れるような感じがして、次の瞬間、涙がこぼれた。涙がこぼれる、というのは適切な言い回しだな。そう思わないかい? 家に帰ってから、を書いた(というよりは、自然に湧き出てきたような感じだったな)。精神的に整理がつかないので門外不出にしてあるけれど、そろそろ唄ってみたい気になってきたな、その曲を。

また例の如く、胃がきゅーっと締まってきたなあ。しょうがないから、少し飲もう。

なぜ涙が出たのかはわからない。最近、わからないを連発しているが、わからないものはわからないんだからしょうがない。しかも、わからないことほど考えたくなる。果てしない。

神様、あるいは、仏様、あるいは、万物の創造主、というような存在があるのなら、なぜ人は死ぬように創られているのか、尋ねてみる必要があるな。ああ、それより、子ども電話相談室に電話した方が早いかもな。

人はなぜ死ぬのか。
わからない。
Yeah! また「わからない」だぜ。

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