人はなぜ死ぬのか。
わからない。
明確な根拠は、私の知る限りでは、ない。

またもや、こんな書き出しだ。この間は、自分が死にそうになった話だったが、今度は、人が死ぬ話。

毎日毎日、いろいろな人が死んでゆく。そのほとんどが目に見えない。たくさんの命が、天に昇るんだか地獄に落ちるんだか、兎にも角にも、この世から消えてゆく。

初めて、死によるショックを受けたのは、幼稚園の同級生、Y君の弟が死んだときだ。「最後は息ができなくて、口を金魚みたいにぱくぱくさせながら死んだんだよ」って彼は言った、正確な言い回しはともかくも、そんな風なことをね。クワガタを取りに行ったりして、よく一緒に遊んでいたので、弟君のこともよく知っていたから、びっくりした。そう、びっくりとしか言いようがない。今も、あのときの会話を思い出すと胃がきゅーっと締まるのがよくわかる(もともと胃腸の弱い私であるが、この感触の次の日は、必ずお腹を壊して苦しんでしまうのである…困ったものだ)。

なぜ、びっくりしたのか、と考えるに、当時は、人間の命と金魚の命とは別なものだと考えていたからだろう。Y君自身がどう感じて、あの言葉を私に言ったのかはわからない。けれども、私は未だに時々あの言葉を思い出してしまう。今では、どんな命も同じように受け止めるようになったけれど、あの頃は、私の中では、人間の命は他の生物よりも特別なものだったんだろう。

その後も、いろいろな死に遭遇してきた。近さ遠さによって様々な波が押し寄せてきた。爺さんや婆さんが死んだ。友だちの父ちゃんや母ちゃんが死んだ。先生も死んだ。同級生だって何人も死んだ。ジョン・レノンだって死んだ。親父も死んだ。仲間も死んだ。すごいな。

振り返ってみると、私の知っている死んだ者たちに関してだけでも、途轍もなく多くの記憶が私を取り巻いている。彼らは私の心の中で生きているんだ、というような言い方はしたくない。では、どう言えばいいのか。

酒をそんなに好きなわけではない(嘘だ! って声が聞こえるぜ)。でも、今は、少し飲もう、と思う。いや、正直に言えば、もう2杯目なのだ…。

人間は誰だって、究極的には独りぼっちなのだ。論理的にはそうでしかありえない。だが、こういう話をするときには、誰か近くに座っていてくれる相手が欲しいと思う。俺も随分軟弱になったもんだ。

毎日毎日、いろいろな人が死んでゆく。そのほとんどが目に見えない。たくさんの命が、天に昇るんだか地獄に落ちるんだか、兎にも角にも、この世から消えてゆく。

おやすみ。
また、いつかどこかで会おうぜ。

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